A.R氏のワークショップに参加して
 
 

昨日、メリケンギャラリー主催のA.R氏モノクロ写真表現を学ぶワークショップに参加した。
職業写真家(その定義は突っ込まない、でもよく読んだらやっぱり写真家さんかな)ではないところで、モノクロ写真表現を本来ならシンプルに「感覚」だと言い切ってしまいたいところ、“講師”として指導するうえで、言葉に頼るのが最も合理的だという理由で、むりに分類化して体系化して理屈をこねないといけない、というジレンマを勝手に想像しながらお話しを聞いていた。


言葉として聞いたその知識やテクニックは近道だと思うし、人に説明するうえでもとてもわかりやすく、特に今回の企画の目標を達成するうえで共通ルールは必要になってくる。
という僕なりの勝手な解釈を展開しながら、昨日の振り返り。



 
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[Nikon D700 Planar50mmZF f2 -2.5EV 2012, Nov]




もちろん学んだことはいっぱいあって、それをここで書くことはできないから、興味のある方はぜひWSや講座に参加して欲しいと思う。しいて言えば、自分らしい表現、それをWSでは“方言”と呼んでいて、自分の思いを最もストレートに伝える言葉は、標準語ではなく方言である。聞きかじった標準語をカッコつけて見栄を張って使っても、本当の気持ちが伝わらない。好きだという気持ちを伝えるのに「好いとう」と言いたい。というお話。


夜の部に設けられた氏とネクストクラスとの懇親会では、スピリチュアルな話題に参加者が引き込まれていった。これまでにも何名かの写真家が来られてご一緒させていただいた経験があるけれど、今回のようにみんなが引き込まれていったのは初めてかもしれない。氏が写真家(やっぱり写真家かなあ)ではなく音楽家であり、写真は表現のためのツールの一つとして扱ってはいるものの、そこにすべてがあるわけではないという理解をした。だからアーティストとしての話に引き込まれたのだろうと思う。


音楽を扱える人は音楽で伝えるといいし、音楽ができない人は環境音でもいいし、詩が書ける人は詩で伝えたらいいし、踊れる人なら踊ればいい。まさか写真ですべてを伝えられるとは思っていないけれど、好きだからやっているという単純な理由があるだけで。
でも音楽が扱えたらなあ、という憧れは昔からある。




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[Nikon D700 Planar50mmZF f2 -2.5EV 2012, Nov]




1枚で完結する写真表現は僕には向いていないということをずっと感じていて、スライド手法などトライしてみたいと思っているけれど、その元になる写真は決めカットであろうと繋ぎカットであろうとちゃんと出来ていないといけないわけで。結局写真に戻ってくる。


写真から言葉を抜き出していったあとになお残るものがある。


鍋パーティで前後の話を聞いてなかったので正しい理解かどうかわからないけれど、そんな一言が心に響いた1日だった。
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by f-izuki | 2012-11-04 08:43 | Comments(0)
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