出展、終わりました
 
 
  
ご案内のとおり、出展しました写真イベントが終了しました。
2年前に一度は出してみようと思ってから、ようやくここにこぎつけましたが、賞レースとは違ったところで、出展を楽しんできました。
観に来ていただいた皆様、ありがとうございました。
場を提供していただきました主催者様ありがとうございました。


さて、初めて出展してみたけれど、これはひとつのマイルストーンです。あるいは足跡。
まとめるという作業。その過程であるセレクト。コンセプトありきだけれど、セレクト力を高めるにはトレーニングがいると感じました。何度も何度も見直して、できれば別のものを見て、別のことを考えて、また見直して。


御苗場には場違いな作品?それははじめから承知のこと。賞レースとは関係ないんだもの(負け惜しみ)。
自分のテーマと最後まで迷ったけれど、結局展示の方は従来のテーマではない方を選びました。
初参加だったからというのがあるし、つまり自分のテーマはまだまだ詰が甘いし、評価されるレベルには至っていないから、中途半端なレベルでだして、傷つきたくなかった(ケチをつけられたくなかった)というのが本音です。
頑張らないとなあ。


やっぱり、刺激になります。
何に刺激を受けたかというと、作品ではなくて、作家さんの作品制作への姿勢であったり、研鑽、努力であったり。アイデアや才能に嫉妬することもありますが、まずは真剣に取り組んでいること。
命を張っていると、軽々しく言う人も中にはいますが、そんな表面上の言葉ではなくて、奥歯を噛み砕くような渾身の何かが絶対的に必要なのでしょう。
旧友とも会えたし、新しい写真仲間とも知り合えたし。


早く写真を撮りたい。
もっと楽しみたい。


著名な大きな写真コンペはいろいろありますが、事前審査もなく、参加者が等しく作品を展示できるコンペイベントは、数少ないのではないでしょうか。等しくという点で、今回、いろいろ意見を聞きましたし思うところもありましたが、コンペという部分に関しては、ほとんど影響はないのかなと思います。観ていただく展示という部分では、必ずしも公平ではなかったなと、当事者として強く感じました。


ヒットを打つために打席に立てと、このイベントが煽って、いや謳っているように、賞レースで選ばれることを目標に参加される方が多いのですが、もう十数回重ねているわけですし、プライズの傾向ははっきり出ています。
ていうか、世界的な潮流でしょう。選ばれるだろうと思った作品の多くがやっぱり選ばれています。
だったら自分もそんな作品作ればいいじゃない、というところですが、もちろんそんな簡単なことではないです。


自分流に解釈すると、中華が流行っているところに、イタリアンや和食で攻めても、テイストが中華じゃなければ、お口に合わないわけです。和食しか作れない人に、中華を作れと言われても、かたくなに伝統的な和食を守っていてはダメなのです。喩えを単純化しすぎたけど。
いくら上手でも、絶対選ばれない作品群があります。


あと、プライズの条件は若さ、じゃないでしょうか(?)。絶対明文化されることはないでしょうが、新世紀だってそうじゃない。
プライズを目指して次はこれで行くと、おっしゃる方がいましたが、多分無理です。年齢の壁は越えられない。
参加することに意義を見出して、割り切った方がいいです(ウソです^^)。
自治体が主催する写真コンテストが観光客を呼び込むための商材となるように、商業ベースに乗せるには才能と将来性(若さ)のある人を売りに出さないと、旨みがない。ほとんどの人が分かっていると思うけど(苦笑)。


一方で賞レースとは関係なく盛り上がっているグループもあって、イベントを盛り立てています。可愛い女性もたくさん会場に詰めかけるし、素敵なことではないでしょうか。
これも憶測だけど、そんな人たちをないがしろにしないような企画もこれから出てくるような気がします(笑)
集客効果を高めるにはどうすればいいかって。企画の基本ですからね。


人を撮るのが一番楽しい。
人として人が好きだし、人と絡みたい。でも人を撮るのが一番難しい。だって人だから。
そこに僅かな妥協があってもすぐに見抜かれるし、ぼろが出る。自分自身がさらけ出される。
その面白さと怖さがある。


友達を撮るのは簡単だけれど、自分を撮るのは究極。
家族を撮るのは、子供に食事を与えるのと同じ。


とりとめがなくなってきた。
次回?同窓会感覚で。
継続も大事ですよね。


  
 

追伸というか、レビュー



200を超えるブースを全部くまなく見るのは、ほとんど不可能。
写真に醉う。つまり、何を物語っているのか。
神戸のある著名なレビュワー(今回は公式レビュワーではなかった)をお見かけし、あとをつけてみた(笑)
お忙しいところ主催者に挨拶に来たという風で、作品を見る速さは歩く速度よりも早かった。一瞥したかどうか。商業ギャラリーでインターナショナルに通じる作品を探しているのでしょうが、早いの何の。
実際、公式レビュワーにもそんな風に見られているとしたら、やっぱりまずカテゴリーじゃないか。
目立つ目立たないではなくて、一瞥でふるい分けされている。そんでもって、わからない写真。わかりやすいのはダメですね、一瞥で終わり。二度見されない感じ。


でも今年はさらにレベルが高かったと感じた。
作品集で見る限り、違う。


作品は、大きいのが目立った。
引いて見れないブースレイアウトにもかかわらず、長辺が1mを超えるような大きいのが乱立。
でも大きさは話題作り的な要素に見られがち。コンペの評価にどれほど寄与しているのか疑問。
あと、紙を選べとか、額装を工夫しろと言うけれど、それは小手先のテク。でも失敗はもちろんダメ。
下手な小細工をするくらいなら、何もしない方が良い。特別な表現方法を選ぶなら、それ意外を知らなければならないということで、お金ももったいないし。
作者がこだわっているところは、思い込みもあるのか、全く見られてない感じ。
つまり作品の内容の至らなさを紙だとか展示方法がカバーすることはないように思う。


額装の種類としては、アクリルパネルが目立ってきた。昨年、ネクスト展で採用したから、ちょっと先取りした優越感もある(笑)
透明感が出るし、ポートレイトやハイキー作品にはピッタリ。そのまま作品として売れる仕上がりになる。
白の余白もトレンドかな。マットで余白を作るのではなくて、画像周りの余白をそのまま表に出す見せ方。
この方法はスマートでよかった。マットを付けた作品がうっとおしく見えた(←自分のやつです)。
紙に関して言えば、マット系の方が多数。マットをきれいに出すのは難しいんだけれど、そいう部分がどれだけ報われているのだろう。


あと、モニタの持ち込みがありましたね。スライド流しながら、音楽を聴かせるという趣向も。
手段としては絶対ありだと思うけど、フィルムを偏重する風潮がまだ色濃い中で、デジタル複合表現と手焼きプリントが同じ土俵で見られるとは思えない。レベルが高くなればなるほど、写真とは別のジャンルを確立するべきだと思う。
それだけ写真(のみ)が古典的な表現手法になってきている証か。


個人的にフィルムは好きだけど、フィルム感たっぷりの作品は鼻についた。なんやろ。あくまで作品の印象のこと。カラーネガの粒子ザラザラ感。ザラザラをウェット感だと錯覚しているのかな。
ましてや逆光下のフレア。オーラ出しまくりに見える。一瞬はいいと思うものの、何度も見ると飽きてくる。もちろんこれは個人的な感覚だけれど。


表彰式には出れなかったので、レビュワー賞に選ばれた作品全部が思い浮かばないのだけれど(自分の展示のブースの周辺、つまりエントリー番号の若い前半しか見ていなくて、後半の方はほとんど見れなかったから)、気になっていた方の作品がやっぱり選ばれてるなと。このあたり、作品を見る目は波止場で養われてきたように思う。傾向ともいう。


自分のを棚に上げた、私的総論はこんな感じです。
自分のこと書いても、ここでは誰のためにもならないから(泣)。
はずかし、いっぱい書いてしもた(ため息)。




追伸の追伸



公式HPで結果を見ました。
将来、参加者減っていくかも。
実際、今回もブース埋まらなかったし。
やっぱりちゃんと話聞いておけばよかった。 
 

 
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by f-izuki | 2013-09-24 00:18 | Comments(4)
Commented by テリー 胃灯 at 2013-09-30 11:50 x
冷静で詳細な分析、的を得てると思います。

昨今、ポートレート系に力を入れる人が増えて、金と人をこれでもか!と掛けてプロを凌駕する人がいますね。
でも決して評価されないと思います。
金さえかけたらファッションフォトは幾らでも良いの撮れるし、金かけた奴をいちいち評価してたら、既存のプロは仕事なくなっちゃいます。
写真でプロを夢みる人が増えましたが、現代アートはヒーローを仕立てあげわけわからん作品で煙に巻いて金を稼ごうとしてるので夢を早く覚ませてあげる意味でも俊敏なレポートでした。
しかし現代アートも飽きられるというか、一般から嫌われてしまった感がありますよね。
Commented by f-izuki at 2013-09-30 13:20
コメントありがとうございます。
写真の楽しみ方は人それぞれで、イベントへの関わり方もそれぞれかなと。
ただ僕が一つだけ理解が及ばないのは(レビュワーの講評コメントを聞いてないからなおさらですが)、セレクトされた作品あるいは作家が、大袈裟に言えば写真史の流れの中で相対的にどのような位置づけで、またその評価を得るに値するのかが見えないことです。主催者には講評のコメントも残してくれるとありがたいですね。
今まで見たことがない写真に出会いたいという意味も。
ただの不理解かもしれませんが。
Commented by テリー胃灯 at 2013-09-30 21:30 x
御苗場で写真の歴史のなかでエポックメイキングなものを探したり、その位置付けを論じるのは厳しいのではないでしょうか。
アートの歴史はギリシャの神の領域である理想の具現化から始まり、それは幾何学という理論的に証明できるものでしたが、それがバロック、ロココまできて、遂にはリアリズムから離れて人間の内面性に至り、印象派、シュールリアリズムときて、そして、アンチアートであるコンセプト主義=ダダイズムときて、今やコンセプトさえなくなっています。
写真はそのアートの歴史をたった百年で追いかけてきました。
Commented by テリー胃灯 at 2013-09-30 21:31 x

日本は全日写連にしてもJPSにしてもリアリズムから抜け出せないでいます。
じゃあ海外は、、、御苗場に出展してる人達にアートの歴史や写真の歴史と世界の現状わかって出展している人はいるのでしょうか。
いや、プロでさえ、世界の最先端や状況がわかっているのでしょうか。
私はわかりません。
ネットなどで海外作品たくさん見ます。
海外のコンテスト見ます。
あれは最先端なのでしょうか。
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