読み書き、そろばん、写真術
2013年 10月 10日
識字率という概念がある。
幸い日本で生まれ育ち、ごく普通に大人になると、識字率ということに意識は及ばない。
文字を読む、文字を書くという、コミュニケーション、表現のためのツールを自在に操れるようになっている。
意思を示す、意図を汲み取るという目的に対して、ほとんど無意識に、文字、言葉、文章を使うことができる。
職業として、文字を専門に扱う人がいる。
大雑把に文筆業という、技術を用いる人たち。
そして文字を扱う能力に優れた人(作家)によって生み出された、文字による作品がある。
作品を生み出すことにおいて、明らかに、努力なり才能なり、特別な何かがそこにあるのかもしれないが、文字を使うにあたっては文法という厳格なルールがあり、そのルールに従ったうえでなお、文体であったり、作家特有の文章のカタチといものが存在することはとても面白い。
いま、自分は写真をやっている、などというのはほとんど意味を持たない。
物心ついた頃から写真に馴染み、文字を扱うようにカメラを扱い、いとも簡単に綺麗な写真をカメラが吐き出してくれる。
写真を撮るには技術めいた何かが必要なんだと思い込んできたのだが、今やデジカメさえあれば、特別な技術がなくても人様にお見せできるようなものが撮れる。
何を求めて、というか何を思い込んで、一生懸命やっているんだろうな。