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戦争の痕跡(機銃弾痕)かな





今朝のテレビの情報番組で、戦時中の防空壕を活用してきくらげを栽培しているという話が紹介された。
商品名は「防空壕きくらげ」。食べたことはないが、栽培に適した気温と湿度で、評判も高いという。
防空壕跡は国内いたるところに存在していて、小学生の頃は、実家の近くの山中にもあったという話を聞いた。
実家に近い兵庫県加西市では、数年前、戦時中に建設された飛行場跡地が自衛隊から払い下げされ、周辺に残る戦争遺構とともに、記録と保存活動が行われている。
戦後70年以上が経過し、昔々の話になりつつあるところを、今しかできない取り組みとして捉えられているのかもしれない。
大西洋戦争では、大都市に関わらず田舎の小さな町にまで、空襲があったと聞く。大正生まれの祖母も地方の山奥に暮らしていたが、何度か空襲に会い、機銃掃射に追われた経験を話してくれたことがある。
今の平和な社会からは想像できない現実があったということだ。



神戸の海岸通を歩いていると、建築後100年になるような石造りの瀟洒な建物がいたるところに現役オフィスビルとして存在している。
当たり前のことだが、これらの建物も太平洋戦争を経験しており、その痕跡というか傷跡が壁面に残されている。
古くから存在する工場など、特にアメリカ軍にマークされた建物は相当の機銃攻撃を受けており、その建物は酷い傷跡を今も残していると知人に聞いたこともある。




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前置きが長くなったけれど、昼休みによく散歩している神戸の旧居留地から続く海岸通の界隈は、最近では超高級外車ディーラーがひしめく小洒落た街並みで、買い物をせずとも散歩するだけでも気持ちの良いところだ。
その歩道脇に古い壁が残されており、機銃痕らしき孔がたくさんついているのを見つけた。
周辺には何の掲示もみあたらなかったので、これが戦時中からの建造物であるかどうかもわからないが、あちこちひびが入り傷みも進んでいて、あえてこの一画だけ残されているように見えた。




戦争の痕跡(機銃弾痕)かな_b0226573_13371916.jpg





昭和21年の航空写真で探してみると、同じ位置に壁らしい構造物が写っており、門柱の位置も一致するので、たぶん航空写真の当時のまま、ここに存在しているのだろう。
この痕跡が機銃弾痕だと決めつけるつもりはないが、何気に存在している壁にも歴史が刻まれていると考えると、この壁に流れる空気の温度が2,3℃低く感じられる。





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[国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス https://www.gsi.go.jp/tizu-kutyu.html 撮影年月日 1946年11月20日」




国土地理院のWEBでは、国が保管する航空写真を自由にみることができる。
昭和21年は、戦争が終わって間もないころで、アメリカが日本の国土のほぼすべてを航空写真に収めている。考えてみれば恐ろしいことだが、今はこうやって自由に閲覧することができ、空襲のひどい傷跡を示す貴重な資料となっている。
この写真では、現存する商船三井ビルディング、海岸ビルや旧神戸郵船ビルなどの建築物が写っている。
昭和21年当時の護岸や灯篭も残っており、普段散歩している景色がここにつながっていると考えるとおもしろい。




戦争の痕跡(機銃弾痕)かな_b0226573_13502735.jpg
[Google]




ちなみに同じ区画を現在と較べると、このようになる。
国土地理院が公開している航空写真は日本国内いろいろな年代があり、これらを探してみると、今は取り壊されてしまったが小さいころ通っていた校舎や、今ではすっかり変わってしまった風景などを見つけことができる。
とても懐かしく、無くしかけていた記憶がよみがえってくる。
ちょっとしたタイムスリップ感を味わうのも楽しい。


弾痕の話から最後は国土地理院の宣伝になってしまった。






by f-izuki | 2020-09-04 17:54 | Comments(0)

反復と破壊と小さな創造 神戸発写真系ブログ


by 石谷 山山
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