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コダクロームという響き
 


キタムラのメルマガで記事を見かけたので、古いフィルムを探してみた。 
 
 
もう製造されていないから、今や伝説になった感すらある。
歌詞にも引用されることがあったし、写真展のサブタイトルにも付けられそうな、固有名詞にして時代背景すら刷り込まれている。
多くの人々が特別な思いを抱く理由があるのだろう。


個人的にはその原理も特性もわかってなかったしほとんど使ったことはない。
ただ、当時すでに憧れのような思いはあり、コダクロームという言葉の響きだけで、フィルムを手にとったことがある。
30年前の当時で24枚撮り1本が700円以上していて、現像代も1,000円を越えていたから、中学生や高校生がお小遣いで扱うには、ちょっと背伸びしなければいけなかった。
フィルムマウントなしというスリーブ仕上げがあることは後に知った。




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[Canon AE-1P NFD35-105mm f3.5 1/125 kodachrome 64 1984 Oct]




今見返してみても、撮っているものが同じ。進歩がないねえ。
写真的にみていくと、何が主役で、どこにピントを合わせて、主題が引き立つように、画面を整理して、と、指摘するところいっぱいあるなあ。
背景の空の位置とか。
背景を含むレイヤー構造になっていて、縦構図を選んでいるところが面白いと思う。
当時は後ろから射してくる夕日がススキの穂に透けて、金色に光っている様子に心を動かされてシャッターを切ったことは覚えている。
たまたまカメラに収まっていたフィルムがコダクロームだった。


リバーサルは露出がシビアだという情報は持っていて、それなりに気を使っていたのに、仕上がりはどアンダーになることが多かった。
カメラまかせにしてけば、そうそう失敗することはないと思うのだが、撮りたいものが逆光など特殊な環境下で、必要以上に露出補正をかけてしまったのだろう。




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[Canon AE-1P NFD35-105mm f3.5 1/125 kodachrome 64 1984 Oct]



 
ちなみに、コダクロームは外式カプラーという着色方法で現像処理される。
詳しくは検索してもらうとして、この独特の発色は地味で、むしろ一般受けしない傾向にあったところに、時代をすり込む要素があったのだと思う。


RAW現像ソフトでは、コダクロームの発色を再現するパラメーターがプリセットされているものもある。
フィルム調K/Silkypix
Kodachrome/DxO FilmPack(アドイン) など


デジタル画像を粒状性を含めてフィルム調に仕上げるというのは別の議論が必要かも。




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紙マウントが懐かしい。
今見ると、ラベルの色がいいね。
ノスタルジーそのもの。



  
by f-izuki | 2013-11-05 01:28
読み書き、そろばん、写真術
 
 
 
識字率という概念がある。
幸い日本で生まれ育ち、ごく普通に大人になると、識字率ということに意識は及ばない。
文字を読む、文字を書くという、コミュニケーション、表現のためのツールを自在に操れるようになっている。
意思を示す、意図を汲み取るという目的に対して、ほとんど無意識に、文字、言葉、文章を使うことができる。


職業として、文字を専門に扱う人がいる。
大雑把に文筆業という、技術を用いる人たち。
そして文字を扱う能力に優れた人(作家)によって生み出された、文字による作品がある。
作品を生み出すことにおいて、明らかに、努力なり才能なり、特別な何かがそこにあるのかもしれないが、文字を使うにあたっては文法という厳格なルールがあり、そのルールに従ったうえでなお、文体であったり、作家特有の文章のカタチといものが存在することはとても面白い。
 
  
いま、自分は写真をやっている、などというのはほとんど意味を持たない。
物心ついた頃から写真に馴染み、文字を扱うようにカメラを扱い、いとも簡単に綺麗な写真をカメラが吐き出してくれる。
写真を撮るには技術めいた何かが必要なんだと思い込んできたのだが、今やデジカメさえあれば、特別な技術がなくても人様にお見せできるようなものが撮れる。
何を求めて、というか何を思い込んで、一生懸命やっているんだろうな。




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[Canon AE-1+P NFD35-105mm Fujicolor HR400 EPSON GT-X970 1984 Aug]



 
 
 
by f-izuki | 2013-10-10 01:15
初めてのモノクロ
 
 
 
お小遣いやらお年玉やらを貯めて、初めて一眼レフカメラを手にしたのは中学3年の秋。
2年越しの念願が叶ってのことだった。
日々のお小遣いではフィルムを買うのも十分ではなかったが、当時の記録では、フィルム3本目にしてモノクロを通していた。
当時の写真に関する知識の元はもっぱら雑誌で、カメラ毎日、日本カメラ、アサヒカメラなどのハイアマチュアが手にするような雑誌と、CAPA、月刊カメラマンなど、カメラ少年が手にしやすい雜誌の大きく2つの系統があった。
結構背伸びしてカメラ毎日とかを買っていたように思う。
今、雑誌は買わなくなったなあ。


モノクロフィルムを手にした理由は、もちろん雑誌の影響を受けたからで、カメラを手にしたら、次は印画紙へのプリントという思いがあった。
今でも実はよくわからない(上手に表現できない)が、モノクロの階調の美しさだとかそんな知識もうんちくも全くなく、モノクロ表現することの意味を理解する術もなかった。


当然、撮る対象がモノクロとカラーで変わる訳もなく、仕上がったネガを眺めて、なんとモノクロとは味気ないものかと思ったものだ。こんなことならカラーで撮っておけばよかった。
そうは思うものの、ただなんとなく、その後も思いついたようにモノクロフィルムをカメラに通していた。




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[Canon AE-1+P NFD35-105mm F3.5, Fujifilm NEOPAN SS, EPSON GT-X970, 1983 Nov]





ポジといえばコダクローム64、モノクロフィルムといえばやはりTri-Xが憧れだった。
パッケージを手にするだけですでに気分は上々。
でも最初に使ったのはフジのネオパンSS。いつもフィルムを買うお店にフジしか置いてなかったのか、コダックが高かったのかは覚えていない。


あ、思い出した。
フジからお手軽現像キットが市販されていたからだ。試薬セットは買ったものの、現像タンクが売ってなかったので、結局自家現像処理は出来ずじまいだったのだけれど。

 
 
by f-izuki | 2013-10-02 04:17
カレーを煮込む弟
 
 
 
古いフィルムを見返してみると、当然、そこには家族を写し取ったシーンがたくさん出てくる。
デジカメではなかったから、つまり無駄撃ちはほとんどしていない。もちろん失敗カットは捨てるほどある。
誰かに見せるつもりではなく、間違いなくそれは記録のために撮り続けられたものだった。


誰かとそれを共有するつもりもなく、ただ自分のためだけに撮り続け、自分以外の誰かの目にとまることはなかった。
たとえ写真を撮らなくとも、それは記憶としてとどまっているし、色褪せることもない。
しかし改めて今見返してみると、当たり前だが、かつてそこにあったもののディテールがリアルにフィルムに刻まれていて、写真がドキュメンタリーであることを教えてくれる。


写真を見ていると、記憶を超えたストーリーがとめどなく溢れてくる(当事者なんだから)。でも誰かと共有するべきものでもない。
せいぜい、ここに写っている弟がその対象になるが、共有するか否かは彼の問題。
しかし、もし第三者とこの写真でなにかの情報を共有することができたとしたら、少し何かの役にたてたような気がする。


 
  
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[Canon AE-1+P NFD35-105mm F3.5, Fujifilm NEOPAN SS, EPSON GT-X970, 1983 Nov]
by f-izuki | 2013-06-22 02:55
写真部時代というのがあった
 
 

高校生の時は一時、写真部に籍を置いていた。
正確には写真部は新聞部の中の写真記録部門だったから新聞部ということになるけど。


1年生の4月、入部した当時の3年生の部長(顔は覚えているが名前は覚えていない、そんな感じの人)は、ニコンF3とFMの2台を使いこなしていた。
高校生だてら贅沢な人だなあと思っていたけど、高3ともなれば高1から見たら十分おっさんに見え、F3を使っていることもなんとなく腑に落ちるところではあった。


僕は当時キヤノンAE-1プログラムという一眼レフを使っていて、腕前を吟味するのを兼ねて、入部早々1本撮って来いとモノクロフィルム(ネオパンSS)を渡された。
季節的に高校総体を目前に控えた体育会系クラブの取材という名目で、好きに撮って来いということだった。
男子部員は部長の他には僕がいるだけで、たいそう喜んでくれたような記憶がある。
のちに同じクラスの友人などがパラパラ入部することになるのだが。


キヤノンは、一眼レフにおいては絞り優先よりもシャッター速度優先を普及させようとしていたと思う。自然とシャッター速度優先をメインとしてカメラを操っていた。特に動きのある被写体を写し止めるには、シャッター速度優先が都合が良かったし、それがもっとも使いやすいAEだと思っていた。
どこの部を撮影したのかよく覚えていないが、体育館の薄暗い道場で練習する剣道部を撮ったことはよく覚えている。
シャッター速度をまず決めて、それからピントを合わせる。
あとはチャンスを待ってシャッターを切る。


屋内だけれどフラッシュは無し。レンズの最小絞りはF3.5。シャッター速度は60分の1が関の山。
現像上がりのフィルムをルーペで覗いて、あまり良い評価はもらえなかった。
被写界深度は浅いし、スポーツを撮るにはシャッター速度は遅いし、ピントが合ってないと言われた。
ピントが本当にあっていなかったのか、ブレが原因だったのか、今となってはわからない。
ピント合わせには神経を使ったはずだったが、結果的に解像感が低い写真が出来上がってしまった。


あいにくその時撮ったフィルムは部長に預けてしまったので、今はもうない。
その時、ピントの甘さを指摘されたことは少なからずショックだった。これ以上合わせるのは無理だぜ~と思った。もしかしてピント合わせの眼力が弱いのかもとか。
ピントはマニュアルフォーカスしかなかったから、ジャストでピントを持ってこれないということは、カメラマンとしては致命的なことを意味する。


趣味で撮っている分には、そんなプレッシャーなど何一つなかったのに、いきなりの壁にあたってしまい、楽しいだけじゃないんだなあと感じた。
当時の友人がもっとほかにもするべきクラブがあると助言してくれたこともあって、写真部はその後辞めることにした。


クラスの友人がその後入部したこともあって、体育祭や文化祭の際に彼らに紛れてカメラを振り回していた。何かのイベントの時には常に一眼レフをぶら下げていたから、考えてみれば今と全く同じスタイルを高校生の頃からずっと続けていることになる。
カメラを持たずに外出することは、財布を持たずに買い物に出かけるのと同じような意味を持っていた。大袈裟に言えば、だけど。




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[Canon AE-1Program NFD50mm F1.4, Fujicolor HR100, EPSON GT-X970, 1985 Sep]




高校の体育祭での1コマ。彼らも写真部(新聞部)だった。
たまたま皆キヤノンを使っていた。ひとりはA-1、もうひとりは同じAE-1P。
肩にA-1をぶら下げている方が構えているのはミノルタの銘機X700だけど、誰かに借りていたのかな。
モータードライブなんぞつけていたが、連写はフィルムがもったいなくて空写し以外に使ったことはない(苦笑)。


二人とも今で言うところのイケメンで、とても写真をやっている(当時はカメラを持っている奴はカメラ小僧と呼ばれ揶揄されていた)ような、暗いイメージはなく、むしろ垢抜けているような奴らだった。
ただ彼らが趣味で写真を撮っていたのかどうかは聞いたことがないし、実際に撮った写真を見た記憶もない。
単なる通過儀礼のようにカメラを手にしただけだったのかもしれないとも思う。


彼らは今でも写真をやっているのかな。
by f-izuki | 2013-02-04 00:53
懐古趣味




手持ちの写真がなくなったので、昔のカードを繰っています。




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[Canon AE-1+P NFD300mm, Konicacolor GX100 EPSON GT-X970, 1990 Jun]
by f-izuki | 2013-01-24 00:20
こんな一枚も



大昔のフィルム(すべてスキャン済み)をみかえしていると、いろいろ面白いものが見つかる。コマを見て、こんなこともあったなと思い出す。そんな一枚。


これは高校1年生の時。当時、僕は陸上部に所属していた。
クラブはトラック&フィールド(T&F)競技チームと長距離走チームに分かれていて、駅伝大会など、長距離チームの大会の日はT&Fチームはサポート部隊に回った。僕は趣味のカメラを持ち込み、従軍カメラマンのようにそこかしこで記録写真を撮っていた。もっとも、クラブから指示されたわけではなかったので、暇な時間を見計らっての興味本位な記録撮影だったけれど。


駅伝競技は5ないし7区をそれぞれの走者がたすきをリレーしながら走り抜く団体競技であるが、個人で走り切る競技とは全く違うプレッシャーや高揚感がある。団体競技の責任感からオーバーロードしやすく、無理してしまった挙句にタイムを落とすようなことも起こりがちな競技である。


そのプレッシャーを力に変える人ももちろんいる。
参加する意義も大きいし、観ても楽しい競技の一つである。




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[Canon AE-1+P NFD35-105mm, Fuji Neopan400, EPSON GT-X970, 1984 Oct]




この写真は、駅伝の区間を走り終えた直後に撮らせてもらった一枚である。
手のひらには、応援する者が走者に宛てた直筆メッセージやおそらくは自らが書いたおまじないのような言葉もあるのかもしれない。
走り終えたあとだったため、たすきを握ったり、汗で滲んだりしていて、どのようなメッセージが書いてあったのか読み取ることは難しい。
それでも彼は使命を達成した満足感を示すように、僕に手のひらを見せてくれた。


説明しなければ何を表した写真なのか見当がつかない一枚だけれど、これも一つの象徴的なシーンだと思いシャッターを切った。
by f-izuki | 2013-01-17 02:47
測ること



ある著名な写真家のWebサイトに書かれていたことだが、写真とは感覚的なものでありその感覚は被写体に向かっている。感覚を写しとることは被写体との距離を測ることであり光を測ることだ。現在のデジカメはオートで綺麗に写ってしまうので…


本当はこの文章の主旨は別のところにあったのだけれどあえてこの部分だけを切り取ると、自分がデジカメを扱うとき、この測る部分をおろそかにしてしまっているのかなと。だからシャッターが軽く、つまり一枚の写真への重みが軽く感じられるのかなと。


実はこれに似た論争は大昔から繰り返されていて、露出にオートが出たときにはオート派vsマニュアル派の論争がおこり、オートフォーカスが誕生した時にもはやりオート派vsマニュアル派の論争が起こった。
フィルム派vsデジタル派の論争は記憶に新しいが、この論争が通過儀礼のようなものであることは長年写真をやっている人には言わずもがなのことなのに。


僕が初めて使ったカメラはキヤノンのデミというハーフカメラだった。このカメラには露出計がついていて、追針式で露出を決定する機構があり、日中の屋外で逆光という条件でもなければ記念写真や風景写真は普通に綺麗に撮れた。
ただしピントは目測で、スナップなどではよくピントを外した。むしろ合っている方が稀だった。加えて逆光や夜間など厳しい条件で撮りたくなることが多く、DPEではプリント時に自動補正がかかって目も当てられない写真に仕上がった。


ピントの目測はストレスがあるので一眼レフにとても憧れていた。中3の秋に念願がかなってようやく一眼レフを手にし、ファインダー越しにピントが合うことに感動を覚え、意味もなくファインダーを覗いては空シャッターを切っていた。中学生・高校生のお小遣いで消費できるフィルムは枚数が限られていた。




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[Canon AE-1+P NFD35-105mm, Sakuracolor SR100, EPSON GT-X970 1985 Aug]




当時は周りに写真をやっている友人もおらず、黙々と一人でカメラ少年をやっていた。
写真雑誌などでインパクトのあったイメージを追いかけていたけれど、撮り方もよくわからなかったし、試行錯誤するにも、何が良くて何が悪かったのか検証することもままならなかった。一コマずつ撮影条件をメモするほどマメでもなかったので。


使えるコマ数は限られていたし、それでも出来るかぎり考えて撮ろうとした。
先の論争になるけれど、プログラムオートを使うのは何か手を抜いているような気がしていた。


デジタルになって、フィルムでは撮ることを諦めていたような状況でもカンタンに撮れるようになってしまった。つまりモニタですぐに確認できるから、イメージどおりの絵になるまで露出を変えながら何枚も撮っていけば、そのうちいいところに収まってくれる。
何も考えなくても。


もちろん、写真の“感覚的なもの"がこの論点の先の方にあることは十分承知しているつもりだけれど。
by f-izuki | 2013-01-15 03:14
1Q84 風船の季節



時の歩みに打ち込んだ小さな楔




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[Canon AE-1Program NewFD35-105mm Kodacolor 200 EPSON GT-X970 1984, May]
Motomachi@Kobe




付箋みたいなものかな




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[Canon AE-1Program NewFD35-105mm Kodacolor 200 EPSON GT-X970 1984, May]
Motomachi@Kobe




風船の季節




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[Canon AE-1Program NewFD35-105mm Kodacolor 200 EPSON GT-X970 1984, May]
Aina@Kobe




ダジャレではない。
by f-izuki | 2012-10-03 03:41
コレクションの仲間入り
 
 
 
先日の後輩君が、僕の初所有カーがホンダの初代シビックであるということを知って、ミニモデルカーをプレゼントしてくれた。山の実りの隣にさっそく鎮座。
初代シビックは1972年のデビューであり、ホンダが誇る大衆車として世界中で販売されてきた世界戦略車である。この車の大ヒットでホンダは傾きかけた経営を立て直したと言われている。


僕が叔父からお下がりとして譲り受けて所有していたのは1977年式の1500ccのRSLというモデル。このモデルの前身がモデルカーになっている1200ccのRSであるが、世界で初めて米国のマスキー法という排気ガス規制法をクリアしたホンダの技術CVCC式に対応するため廃版となり、新たにRSLとして世に送り出された。


初代シビックはとても愛嬌のある顔立ちで、内装もエンジンルームもシンプルで、免許取り立ての学生にもいろいろいじることができた。




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[Nikon D700 Planar50mmZF f4 2012, Sep]





冬場のエンジン回転は不安定で、坂道の交差点で止まる時はチョークを引っ張りながら、さらにエンジンを噴かしてエンストを防止して、クラッチペダルも踏み込みながらサイドブレーキ操作も必要だったという、両手両足操作を行うこともあった、そんな楽しいクルマだった。


調子よく回ってくれている時のエンジンの振動はとても心地よかった。
あいにく、当時すでに12年落ちとなっており、足回りなど相当にくたびれていた。交差点でうまく曲がれないということもあり、車検期間の満了とともに廃車となった。耐久性という点では現在の車とは比較にならないほどやはりレベルは低かったのかな。





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[Canon AE-1P NFD35-105mm 1988, Nov]





この車はライトグリーンでアマガエルのような風貌をしていた。気に入らなかったわけではないが、とにかく目立つので真っ黒に全塗装してもらった。ところどころボディにサビでできた穴も開いており、ステッカーを上から貼って隠していた。


もし今現車があれば、かなりプレミア価格がついていることだろう。
ウッド製のステアリングだけは記念に取り置きしている。
by f-izuki | 2012-09-28 00:27